書誌詳細
スイコデン 005/コウダンシャ ガクジュツ ブンコ 水滸伝 五
書名
スイコデン 005/コウダンシャ ガクジュツ ブンコ 水滸伝 五
シリーズ
水滸伝
著者
イナミ,リツコ 井波/律子∥訳
出版者
講談社
出版年月日
2018.1
配架場所
エディットタウン / ブックストリート / 1-E-04
閲覧
可
その他
レーベル
講談社学術文庫(2455)
言語
ISBN
9784062924559
所蔵情報
登録番号
810000664
大分類
ET1:記憶の森へ
中分類
ET1-15:滔々と物語は大河のように
小分類
ET1-15-01:長い長い物語
タグ一覧
内容
官軍となり、遼・方臘征伐に出かけるも、梁山泊軍団ついに壊滅す…。魅力満載の躍動感あふれる世界を、よみやすく、勢いのある文体で新訳する。第5巻は、「第八十三回」から「第一百回」までを収録。驚天動地の物語、堂々完結。 官軍となり、遼・方臘征伐に出かけるも、梁山泊軍団ついに壊滅す…。魅力満載の躍動感あふれる世界を、よみやすく、勢いのある文体で新訳する。第5巻は、「第八十三回」から「第一百回」までを収録。驚天動地の物語、堂々完結。
千夜千冊
このような途方もない物語で、しかも作者もはっきりしない怪物のような変化に富んだ物語を採りあげるのは、ほんとうは願い下げにしたいのだ。 ところが、青少年期に読んでぼくの義侠心をわくわくさせた物語が、ほかにアルセーヌ・ルパン、三国志、巌窟王、ハックルベリ・フィン、アラビアのロレンス、三銃士とかとかだったというふうに思い出してみると、やはり『水滸伝』のもつ魅力は、今日のぼくのありかたから察してみて、どうも一番に縁が深そうなのだ。 そういう物語を千冊の外においておくわけにはいかない。多少ともは、『水滸伝』との少年期以来の結びの縁に幣を付けておかなければならないはずなのだ。 結びの縁に幣を付けたい、というのは何かというと、それをぼくが墨守できているかどうかは別にして、ぼく自身がいつのころからか、無性に義侠心とか仁義とか律義というものが好きになっているということなのである。この感覚は何にもましてぼく自身の好みの何かを根本から動かしている。 あえて説明するまでもないだろうが、宋江のもとに集まった36人衆が梁山泊に立てこもり、やがてそれが108人を数えて中央と各地の奸物たちを懲らしめ、やがて倒れ、やがて散っていくというのが『水滸伝』の大きな筋書だが、そこにはおよそ中国の歴史が考えられるかぎりの義侠・遊侠・任侠が描かれる。 それはひるがえってみれば、そもそもこのような義侠の徒を最初に綴った『史記』游侠列伝の原理を離れてはいない。『水滸伝』では時代が中世を迎え、天下の風流天子・徽宗皇帝の世を舞台にしているだけに、そこには想像力のおよぶかぎりの魑魅魍魎との闘いを通した義侠心が刻まれた。 さすがに司馬遷の先見は書いたものだ。「さて游侠の徒は、その行為には逸(はず)れるところもあるが、言ったことは必ずやりとげ、いったん承諾すれば誠実にそれを実行し、わが身を惜しまず、人の厄災に駆けつけ、生死の関頭に立って、しかも能力を誇らず、恩に着せるのを恥じる」というふうに。 これが、「ぼく自身の好みの何かを根本から動かしている」という感覚についての理由である。ぞっこんになるのも当然だ。しかも梁山泊の好漢たちの一挙手一投足は、この司馬遷の言葉の十倍百倍を堪能させた。もっと見る
読書メーター
k5
宋江が宋王朝に帰順して、先鋒として異民族と戦うというno diversityな展開になったなあ、と思っていたのですが、相手方である遼視点もあるし、軍師の呉用が「腐敗にまみれた宋王朝は捨てて遼につきましょう」と言い出したりして、なかなかに面白い最終巻。それまで無敗だった梁山泊が、最後百話でまとめるためなのか、南方征伐ではどんどん百八星が死んでいき、名前が上がった人は死ぬんじゃないかと異様な緊張感がある後半もいいです。そしてラストシーン、「男としてやり残したことはない」みたいな終わり方も爽やかでした。
★58
投稿日2021-04-09
ヨクト
物語は第100回で幕を閉じる。方臘戦で次々と倒れていく好漢達。天命に導かれ、国の腐敗を裁くのかお前達の運命ではなかったのか、まだ死ぬには早いぞと、ずっと唸りっぱなしだった。しかも、戦の中で散るのならまだしも、病気であったり、罠であったりするのだから、これまたやるせない。水滸伝は読者を熱くさせるのだ。
★12
投稿日2018-08-12